なぜわたしたちがタイ南部田舎街ラノーンからバンコクに引越したか
こんにちは!ピース夫妻ゆかりです。
私たちは大好きなラノーンを離れ、現在はバンコクで生活をしています。なぜ、大好きなラノーンからバンコクにこなければならなかったかというとそれはビザです。
30代40代でのタイ移住は現状ビザがなければ長くは住めません。観光ビザで3ヶ月に1度ビザを取りに行って生活することもできますが、一応タイの法律ではアウトということになってます。自分があたった担当官の運が良ければもらえたりします。タイはよくも悪くも担当官次第ということがよくあります。実際、わたしたちの友人でこれをやり続けている人がいますが、今回は2週間しかもらえなかったよーといってました。一回母国に帰るっていってましたね、友人は。また、軍事政権になってから、ビザがどんどん厳しくなっているのも現状です。実際、ダブルビザは2015年11月でなくなってしまいましたから、、、残念!わたしたちギリギリでダブルビザがゲットできたのでラッキーだったのかな?ってとこです。
こちらも過去記事に書きましたが、2015.11.12にダブルビザはなくなり、かわりにマルチプルビザというのができましたが、これは日本人は原則、日本で取得しなければいけないということであまりメリットがありません。まずは日本に帰るにはお金がかかるし、書類関係が面倒ですね。ラオスではいまんとこ3回観光ビザをもらえました。ラオスだったらビザ申請料を含めても1万円くらいでとれますから、しかも書類も日本のようにうるさくないです。
タイの田舎生活に憧れている人は、自分で起業するお金をため、タイ人のパートナーをみつけることが必要になってきます。それ以外でタイの田舎で生活している日本人はタイ人と結婚している人がほとんどではないでしょうか。あとは田舎にある大学などで日本語教師などの仕事についている人。これには教師の資格がいりますので、もし田舎に住みたいと考えているのであれば、日本で取得して働き先を決めてからくるのがいいんでしょうね・・・わたしたちはもちろんそんなものありません。ほんと、何も知らずにきたもんです。
それでも、ラノーンが気に入ってしまったので、なんとか住めないか?バカな私たちなりにトライしてみたことを書いておきます。
ラノーンでトライしてみたこと
ラノーンにはバンコクのように、日本企業がありません。仕事をするにしても、自分で事業をおこす、、、資金がないと難しいのでピース夫妻は断念。
次にトライしてみたのが、ボランティアビザをとって、お金はネットで稼ごうということでやってみました。まず、ボランティアビザについてですが、
この時はボランティアビザを取る方法を聞いてみたのですが、答えはボランティアビザは難しいから考えない方がいいということ。
なんじゃそれ!全然答えになってないじゃん。と、なんとも頼りにならないない答えだなと思ったのを思い出します。けど、実際自分たちでやってみて大変なのがあとでわかりました。まず、ボランティアビザは延長ができないらしい。だから、たとえとれたとしても、3ヶ月とか、それが終わったらまたビザなしになってしまうということがやってみてわかりました。わたしたちは何も知らずに、ラノーンの学校へ飛び込みでいってボランティアさせて下さいと頼み、校長先生が毎日きていいよといってくれたんですが、ビザをとるのは難しかったです。わたしがお手伝いさせていただいてた学校は、ミャンマーの学校だったので、ビザをとるのは難しいということがあとでわかりました。
とってもピースフルな学校だったので、ここで働けたらいいなーと夢みてましたが残念。それでも、知らないからこそできた経験。いつかまた遊びにいきたいと思います。そういう場所ができただけでも感謝、みんな元気かなー
次に、なんとJICAでラノーンの募集がでてましたので、こちらに応募してみました。
JICAは国際的なボランティア団体で知られていますが、ラノーンには人身売買されてしまった人の施設があり、そこで募集をしてました。精神的にも大変なボランティアで、男性のみの募集でしたので、ピースくんを送りこみましたが、残念。もし、JICAがとおれば、お給料ではないけれど、生活費がもらえ、最大で2年住めます。基本単身ですが、シニアでしたら家族も同行することができます。これはいいなと思いダメもとで応募しましたが残念。ラノーン以外にもいろいろ募集してますので興味がある方は探してみて下さい。日本で応募して、決まってから来タイするのがいいかもしれませんね。まずは書類審査で、そのあと面接です。語学チェックがあるので、なんかしらの語学力を証明できるものがあると強いかも。TOEICとかですかね。タイならタイ語検定とか。
そんなこんなでいろいろあがいてみましたが、ダメでした。
ラノーンには語学学校もないので、学生ビザの取得もできません。
まとめ
と、いうことで、バンコクにとりあえずきました。タイに長く住むのであれば、バンコクも経験だとふたりで納得して引越してきました。ラノーンでできた友達とはバイバイしないでバンコクにきました。タイにいれば、いつでもいけますから!
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【九州大震災】物資を届けることと同時に人を逃すことも必要、本日ばあちゃんフェリーで九州脱出
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【九州大震災】逃げることは後ろ向きじゃなくて、むしろ前向きなアクション
九州大震災から2週間目です。身体と精神的なケアも必要です。
突然家がなくなる。故郷を離れなければいけなくなったとき、誰もがすぐに行動に移せるわけではありません。子供や高齢者の方をできるだけ避難させてあげてほしいです。
家はもうすめない。家電しかない、どこにいるのか心配してましたが、昨日、震災後すぐにかけつけた母の携帯に連絡し一緒にいるのを確認できました。熊本の北部で避難してるとのこと。ばあちゃんが益城が大好きでそこを離れたくない気持ちもわかりますが、今はまずゆっくり休んでほしいです。余震も1週間続いて避難してて、生きた心地がしないでしょう。電話越しでしたが、母もかなり疲れていました。
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各県が受け入れを表明したことはとてもいいニュースですね
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